米騒動…

稲穂の種まきをしました。(写真は分かりにくいです。ごめんなさい。)
写真は義父母です。
立派に「前期高齢者」のお二人、「後期高齢者」(75歳以上)になったら、米作りを継続するのか(継続できるのか)分からない…と宣言しています。
もう、リミット宣言されているのだけど、未だ引き継ぎできる自信がございません…の私。

種を蒔く育苗箱(パレットともいうのかな)に土を入れて、種籾をまいて、土を被せる…、大規模米農家ならば全てをオートマチック的に行う機械(マシーン)で行うのだけど、小規模農家ではその機械を持っていないし、もし買ったとしても、そのローンの支払いは「農業所得」では賄えない…とリアルに思う。
なので、我が家では私の意見で「機械は買わない」と宣言して、農家の嫁さんとして働いています。

機械代の返済のために働いている後期高齢者の多い現実を、「令和の米騒動」の一面としてマスメディアはもっとクローズアップして(取り上げて)欲しいです。政治家の皆さんには、スーパーに視察に行くのと同じく、『田舎のリアル』を視察して欲しい…。
農家さんを呼んで意見を聞くのではなくて、『踊る大捜査線』の青島刑事の如く「事件は現場で起こっている」リアルを見に来て欲しい…と思う。

農業に限ったことではないのだけど、事業継続は、元気のあるリーダーが、まだ体の動けるメンターの下で試行錯誤できる助走期間を経て、独り立ちするのが『王道』だと思う。でも、それが難しい。

令和の米騒動は、お米の価格(農業)だけではなくて、「農村の存続」が問われている問題だと思う。

分業が進んだ現代社会では、何でも『部分変更が可能』みたいに解釈しがちだけど、作物を育てるのも、人を育てるのも、整った土台(プラットホーム)が必須(MUST)で、その上に変更可能な選択肢が整う…のだろうけど、現代社会に生きる現代人には、何が土台になるのかが分からなくなっている…のだと思う。
「令和の米騒動」は、その本質を問いかけている…と思う。

2024年10月20日~11月30日にクラウドファンディングをした時、メインのリターンは「米」にしました。
その時は、米騒動が起こると思っていなかった…です。
あの時は、クラファン価格の5㎏で、「送料込み」の5,000円~でした。今なら「お買い得品」です。

私は、自分の娘たちに「米を作りたい」と言ってもらいたいような、そうではなくて「好きなことを見つけなさい」と言い放ちたいような、令和の米騒動です。