九州里親大会in鹿児島の前日、8月8日(金)、当初は、鹿児島市内で研修を受ける予定でした。
予てより、未来は仕事として行いたい…と願っていた、若い女性の望まない妊娠や、「産むしかない」妊娠22週を超えた後の支援を、お勉強できる滅多にない機会だった…からです。
多分、鹿児島県で乳児院を経由しない「直」の特別養子縁組を最初に担当した児童福祉司は、私だったんじゃないかな…と思っています。自分が現役の児童福祉司だった当時、本当に「前例がない」を覆しての「直」をしたから。
あまり詳しくは書けませんが、とても思い出に残っているケースの1つです。
その当時、かなりの武勇伝を繰り広げて、「直」をしました。それが良い選択だったと、今でも思っています。
あの時、出産した妊婦には彼女を支えてくれる存在となった「お母さん」がいたからよかったのだけど…、支えとなってくれたから、「産まれてくる赤ちゃんの事は、職務としておこないますが、産後の妊婦のケアが出来ません」と言える人がいたから、私は職務(=特別養子縁組)を行えたのだけど、支え手がいない妊婦はどうなるのだろう…と思っています。
その思いがあって、ファミリーホームと立ち上げる時に「里帰り出産が叶うようにしたい」と冠に掲げました。
8月8日(金)は、研修会には行かず、鹿児島県議会議員の視察・訪問を受け入れていました。写真は撮っていないです。
地元、鹿屋選出の郷原卓男議員が、ファミリーホーム存続の危機…にある現状に動いてくださいました。
大雨の影響で、参加予定者が大分少なくなった視察、訪問でした。
率直に、思っていること、現状の課題をお伝えしました。
一時保護からの受け入れで無いと、委託がそもそも来ない現状に、「どうしてそんなことになっているのだろう?」と率直に「おかしい」と思っていること。
里親に「一時保護機能の付帯」を当然のように求めている、鹿児島県の現状が「おかしい」と思っていること。
「乳幼児75%を里親やファミリーホームの家庭的養護へ」は国の方針として明示されているのに、措置受諾事務は保護者(親権者)の意向優先を翳して進まない…。
福祉業界の人は「お金」の話や、「マーケティング」の話を『嫌い』ます。でも、食べていけない現実があること。「生業」になり得ていないこと。
「休止」は望んでいないが、「廃業」(=自己破産)は、何としてでも避けたい…と思っていること。
その話の過程で、自分のマーケティング能力の無さにビックリ仰天する事実が分かりました。
大隅児童相談所管内では、令和5年度「養育」の里親委託が「0」であること、令和4年度も「1」であること。
※特別養子縁組を前提としない「養育」の里親委託
これは、大隅児童相談所管轄内であれば「誰がやっても、ファミリーホームは成り立ちようがない」を示す数字です。
本当に「政治的判断」を伴う行政手続きがないと、「米重さん家」は成り立たない…というリアルです。
そして、それがタイムリミットが出ている状態で成し遂げられるのだろうか…と「不安しかない」です。

8月10日(日)当事者だった元こども/現若者サポートをしておられる「なべちゃん」と「むっちゃん」と話そうのワークショップに参加しました。
参加者が7~8名と少なかったこともあって、各人が思っていることや、聞いてみたいことを率直に語り合える善き機会になりました。
中には、豪雨災害の被災地でもある霧島市から駆け付けた里親さんもいて、ご自身が大変な環境にある中でも「学びを深めよう」と行動していることに深く感銘を受けました。
何というか、私が一番不幸な人…みたいな思考に陥りがちだけど、頑張る人を見て「私も元気を貰う…」そんなひと時になりました。
「何でも聞いて良いですよ…」という雰囲気だったので、出産適齢時期でもある彼女たちに、社会的養護を経験した彼女たちに、私がファミリーホームを立ち上げた動機の一つに「里帰り出産が出来る様な場を作りたい」と思ったこと、一緒にワークショップに参加した末娘にも、未来の里子にも同様に「里帰り出産したいなら来れば?」と言える人に成りたいことを伝え、「多様な意見があって良いと思っているのだけど、率直にあなたはどう思いますか?」と問うてみました。
出産というプライベートなことなので、各人の生い立ちや価値観が反映されるから、「出産を考えられない」という意見から「多く人にそうなって欲しい」という意見まで、何でも「アリ」だよな…と想像して「構えて」いました。
彼女たちの返答は、個性的で、ここで文章にまとめるキャパが私に乏しいので、ちょっと、ズレた表現になるかもしれないのですが、「安心して選べる選択肢が増えることが、とても嬉しい」でした。自分自身の事じゃないにしても。
要約すると「自分が安心できる人から、安全な場所に、安定して(いつでも)、帰って来ても良いよ…と言ってくれる人と、その場所がある…って言うのが、凄く羨ましい…」という趣旨の発言だったと思います。

垂水フェリーに乗って、鹿屋に帰りました。
船内で、小学校の先生を見つけてはしゃぐ末娘。ちっとも気付かない私。
自分で船内の階段も駆け上がっていく小学生になり、「大きくなったな~」と思いました。
まだ。ヨチヨチ歩きの時など、移動時間や抱える移動に「ぐったり」します。
お盆の帰省で小さいお子さん連れのご家族が多い、船内でした。
桜島を「故郷のシンボル」みたいに思ってもらいたいです。

