ようやく夏休みが終わります。
今年の夏休みは「辛かった」です。
お金の問題が辛くて、でもお金の「リミット」があったから行動に移せました。苦境を訴えたり、ファミリーホームの「休止」の決断と、手続きを行うことが出来ました。
こども達は、今年は、どこにも「お出かけ」していません。
実家の母が初盆だったのに、熱発で帰省をキャンセルしたり、「コロナだったら大変だから…」の理由で高齢者のいる家には訪問することを躊躇って過ごしました。
毎年、農家だから何処にも家族揃って「遊びに行く」ことは殆ど無いのだけど、何をするにも「出費」の心配をして躊躇う…2025年(令和7年)夏休みでした。
「夏休みの作文に書くことが無い…」と毎年の様に言われています。
「私の夏休みは、何も特記することが無いです。『ただただ暑いです』と書けば『よろしい』。」と去年、言い放たれた長女と次女は、そのことを憶えていて、各人なりに工夫して対策していました。
長女は、お友達を読んで「プール」と「お茶会」を出来たこと(冒頭写真あり)
次女は、お父さんと魚釣りに行ったこと、でも、何にも釣れなかったこと
今年初めて「夏休みの宿題」を貰うことになった三女は、作文の書き方から分からなくて「どうしていいのか分からないから、パソコンに聴きたい」と言いました。「…時代だな」と思います。
「お母さん、どうしよう…」がすっ飛ばされている(スキップしている)所が、姉二人を見てモデリング学習していました。
三女が選んだ題材は、「夏休みの学童クラブで観たマジックショー」について、でした。
「マジックのような不思議を、これからも沢山見つけてみたいし、信じてみたい…」で終っています。とても良い終わりです。AI先生の導きです。AI先生の活用は、賛否があるのだろうけれど、私は、それも「良し」と思っています。

夏休みの終わりに、鹿児島県庁から「休止の届」受理書が届きました。
9月1日からは、「ファミリーホーム」の看板を外します。
本日17時15分を過ぎても、鹿児島県下の児童相談所からは、何もお知らせが無かったです。残念でした。
事業資金の返済については、目下、メインバンクとなる日本政策金融公庫と協議中です。
娘たちには、「ピアノレッスン(習い事)を辞めて欲しい」とお願いしました。「親ガチャ」しているな…と思います。
放課後も9月からは、「ほぼ毎日、学童クラブに通って欲しい…」と頼みました。「嫌」とは言えない頼みことをしていて、それを全く揉めることが無く「分かった」と返答する娘たちに、「ごめんね」と謝罪し、「ありがとう」感謝するともに、「私は何をしたかったのだろうか…」と自問自答する夏休みの終わりです。
夫には、もし返済計画の条件変更が通らなかった場合には、どうしたら良いのだろうか…と問うて、答えが出ません。
「今以上に、農作物を作って返せばいいよ」と返答してくれますが、労働力確保に悩みます。
義父母にも何かと心配をかけていています。大工の義父に、ご老体に鞭打たせて作ってもらったホームです。
地域の人からの「どけんなっちょと?」の問い合わせに対応してくれています。申し訳ないです。

9月からは、ファミリーホームを開設する前に勤務していた、介護老人保健施設に再び務めます。
8月18日にファミリーホーム「休止の申請」をするタイミングで、相談しました。
前回退職時に理事長から「この地域で、同じく社会福祉事業を営む者として、出来うる応援はします。何かあれば、何もなくとも、何時でも声をかけてください」と餞(はなむけ)の言葉を頂いていていました。
私は、何の後ろ盾も無くてファミリーホームを創めたので、その餞(はなむけ)の言葉が、本当に嬉しかったです。
こんな形でのお願いになるのは、本望ではないのだけど、でも、頼れる先があったことが有難いです。
介護福祉士を取得したのは18歳の時。「小泉純一郎」厚生大臣の頃…です。
支援相談員として勤務していた20代の頃、当時の指導係でもあった超年配「お局様」に、「あなたをどこの部署に配属されても『使える人』となれるよう、しっかり指導します」と、当時の私の肩書は支援相談員だったけれど、介護現場対応(ケアワーワーの仕事)をいろいろ回りました。あの当時、「嫁いびりリハーサルされている…」って思っていましたが、今の苦境を救ってくれる技能を身に付けて頂いていたことに、深く感謝しています。